芳川 波山
偉人について
- 読み よしかわ はざん
- 生没年 寛政6年(1794)~弘化3年(1846)
- 出身 茨城県潮来市
- 幕末の漢学者
忍藩校進修館の教授
寛政6年(1794)、常陸国潮来(ひたちのくにいたこ)に生まれました。15歳の時、学問の道に進むため、江戸へ出て山本北山(やまもとほくざん)の門人となり、その死後は長崎留学や北山の息子の塾の手伝いをして過ごしました。
その後、文政9年(1826)に林大学頭述斎(はやしだいがくのかみじゅっさい)の推薦により、忍藩に招かれ、藩校進修館(しんしゅうかん)で死去するまで多くの藩士の教育にあたることとなりました。文政11年(1828)には忍藩士のつくった漢詩を集めた「鴛城清吟(えんじょうせいぎん)」を編さん、同13年には「囚山亭百律(しゅうざんていひゃくりつ)」を刊行しました。また、幕府より忍藩が命じられた「東都事略(とうとじりゃく)」、「南宋書」の翻刻校訂に従事し、作業が完了した弘化3年(1846)に忍にて死去しました。墓所は、長久寺にあります。
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更新日:2024年02月29日