小山 健三
偉人について
- 読み こやま けんぞう
- 生没年 安政5年(1858)~大正12年(1923)
- 出身 行田市
- 明治・大正時代の銀行家
関西の渋沢栄一
安政5年(1858)、忍藩士小山宇三郎の長男として生まれました。藩校進修館(しんしゅうかん)などで学んだ後、長野県や群馬県の師範学校や医学校の教員を勤めました。
明治14年(1881)には、文部省の役人として長崎県へと赴任し、26歳で長崎県立師範学校長に就任しました。その後、明治22年(1889)には東京に戻り、東京工業学校(現東京工業大学)教授、高等商業学校(現一橋大学)長などを歴任、東京外国語学校(現東京外国語大学)の設立に関わりました。
明治32年(1899)、株式会社三十四銀行(さんじゅうしぎんこう)の頭取に就任し、「一人一業主義」を唱えて堅実経営を行い、有力銀行に育て上げました。また、京釜鉄道(けいふてつどう)や韓国銀行などの国策会社の設立にも携わり、関西経済界の重職を歴任しました。
なお、三十四銀行は合併により三和銀行になった後、近年の銀行再編により現在では、三菱東京UFJ銀行としてその歴史をつないでいます。
この記事に関するお問い合わせ先
文化財保護課
〒361-0052 埼玉県行田市本丸2-20
電話番号:048-553-3581
ファクス:048-556-0770
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2024年02月29日