小山 健三

更新日:2024年02月29日

偉人について

  • 読み     こやま けんぞう
  • 生没年  安政5年(1858)~大正12年(1923)
  • 出身     行田市
  • 明治・大正時代の銀行家

関西の渋沢栄一

安政5年(1858)、忍藩士小山宇三郎の長男として生まれました。藩校進修館(しんしゅうかん)などで学んだ後、長野県や群馬県の師範学校や医学校の教員を勤めました。

明治14年(1881)には、文部省の役人として長崎県へと赴任し、26歳で長崎県立師範学校長に就任しました。その後、明治22年(1889)には東京に戻り、東京工業学校(現東京工業大学)教授、高等商業学校(現一橋大学)長などを歴任、東京外国語学校(現東京外国語大学)の設立に関わりました。

明治32年(1899)、株式会社三十四銀行(さんじゅうしぎんこう)の頭取に就任し、「一人一業主義」を唱えて堅実経営を行い、有力銀行に育て上げました。また、京釜鉄道(けいふてつどう)や韓国銀行などの国策会社の設立にも携わり、関西経済界の重職を歴任しました。

なお、三十四銀行は合併により三和銀行になった後、近年の銀行再編により現在では、三菱東京UFJ銀行としてその歴史をつないでいます。

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