川島 奇北
偉人について
- 読み かわしま きほく
- 生没年 慶応2年(1866)~昭和22年(1947)
- 出身 行田市
- 明治~昭和期の俳人
埼玉俳壇の草分け
慶応2年(1866)、須加村の豪農川島家に生まれました。正岡子規の俳句改革に関心をもち、高浜虚子(たかはまきょし)の紹介で門弟となりました。明治33年(1900)には『鴛鴦文学(えんおうぶんがく)』、同37年には俳誌『浮城』で選者や合評者を務めるなど、地元の青年たちの文芸活動に大きな影響を与え、「ホトトギス」写生句の啓蒙と普及に尽力しました。
子規の死後、昭和6年(1931)には須加村の自宅でホトトギス第十四回武蔵野探勝会が開催され、虚子をはじめ多くの俳人が集いました。句集の刊行も計画されましたが、生前は実現されず、昭和43年(1968)に句集『田園(でんえん)』が刊行されました。
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更新日:2024年02月29日