南河原石塔婆

更新日:2022年01月20日

上半部にキリークという種子と蓮座、下半部に阿弥陀三尊の図像が彫られている文応二年銘の板碑の写真
脇侍をともなった地蔵菩薩の図像が彫られている文永二年銘の板碑の写真

文化財の概要

  • 読み みなみがわらいしとうば
  • 区分 国指定記念物
  • 種別 史跡
  • 員数 2基
  • 所在地 行田市南河原1503 観福寺
  • 時代 鎌倉
  • 形状 文応二年銘の板碑:台上高263センチメートル、幅65センチメートル、厚さ9センチメートル
    文永二年銘の板碑:台上高187センチメートル、幅58センチメートル、厚さ6.5センチメートル
  • 公開/非公開 公開
  • 指定年月日 昭和3年2月7日

文化財の説明

観福寺境内に所在する2基の大型板碑は、鎌倉時代中期の代表的な板碑として知られ、昭和3年に国の史跡に指定されました。

江戸時代後期に編さんされた「新編武蔵風土記稿」には、当地出身の武蔵武士で、源平争乱の際に摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)の合戦で討死した河原太郎高直・次郎忠家(「平家物語」では盛直)兄弟の供養碑であるとの伝承が載せられていますが、真偽については「彼兄弟の碑とせんには、年代違へり」と述べています。また同書には、これらの板碑はかつて村の北の畑中にあったものが、後年、観福寺に移されたとあります。

文応2年(1261)銘の板碑は、上半部に阿弥陀如来をあらわすキリークという種子(仏をあらわす梵字)と蓮座が大きく深く薬研彫り(やげんぼり)され、下半部には阿弥陀三尊の図像が線刻されています。また最下部には紀年銘を中心に12名ほどの人名が刻まれています。

文永二年(1265)銘の板碑は、中央部に脇侍をともなった地蔵菩薩の図像が岩座の上に線刻され、下部には紀年銘を中心に阿弥陀号などをもつ20数名の人名が刻まれています。

地図

観福寺

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