梅貞童子の墓

更新日:2022年01月20日

石台の上に置かれている石幢形の梅貞童子の墓の全体写真
墓に刻まれている梵字や銘文、地蔵像の部分を拡大している写真

文化財の概要

  • 読み ばいていどうじのはか
  • 区分 市指定有形文化財
  • 種別 建造物
  • 員数 1基
  • 所在地 行田市城西4-3-21 正覚寺
  • 時代 江戸
  • 形状 石幢形、総高221センチメートル、幅43センチメートル
  • 公開/非公開  公開
  • 指定年月日 平成11年3月25日

文化財の説明

正覚寺は、徳川家康四男の忍城主松平忠吉(ただよし)により、母・宝台院(ほうだいいん)の位牌所(いはいじょ)に定められました。

松平忠吉は、天正8年(1580)9月生れ、文禄元年(1592)2月忍城主となり、関ヶ原で勇戦し、直後の慶長5年(1600)10月に清洲城主(62万石)となりましたが、慶長12年(1607)3月、28才で逝去しました。

梅貞童子(ばいていどうじ)は忠吉の子で、母は井伊直政の娘です。慶長3年(1598)に早世し、この地に葬られました。

梅貞童子の墓は、本堂の裏手の南よりにあり、東方に向いて建てられています。石幢形(せきどうがた)で、石材は安山岩、やや細身の作りをしています。基礎には月輪の中に梵字(ぼんじ)が刻まれ、幢身(どうしん)には、四葉形の彫り込みの中に「慶長三戊戌天 早世梅貞大童子尊霊 正月廿六日」の銘文が刻まれています。幢身の上には、外縁に蓮華文が線刻されており、その上の龕部(がんぶ)には、六面に地蔵像が浮彫りになっています。笠には軒下に垂木が造出され、露盤には竪連子が刻まれています。建立から400年以上が経過していますが、保存状態も良く、また伝来も明確であり、地域の歴史を物語る資料として重要です。

地図

正覚寺

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