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更新日:2016年1月20日

行田足袋

行田足袋の歴史 

足袋ラベル

行田の足袋は、旅行や作業用の足袋としてつくられました。

江戸時代の明和2年(1765)の『木曽東海両道中懐宝図鑑』という本には、「忍のさし足袋名産なり」とあり、行田の足袋が名産品だったと記されています。

「さし足袋」とは刺子にした足袋のことです。行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられています。

明治時代になるとミシンが使われるようになり、足袋の生産量は増大しました。また忍商業銀行や行田電燈株式会社が設立され、資金も安定し、ミシンの動力化も進んで、名実ともに行田の足袋は日本一となりました。

昭和13年(1938)の足袋生産量は8,400万足で、これは全国生産の約80%を占めていました。

 

 

 

足袋のはじまり 

紐足袋

足袋のはじまりについては、いろいろな説があります。

奈良時代の貴族は、布でできた指のまたわれのない「しとうず」というものを沓の下にはきました。これがのちに指のまたわれができて、足袋になったという説。

また、革の「しとうず」をはいていた武士が、指のまたをわり、これが足袋になったという説、などなど。

平安時代の『宇治拾遺物語』の巻11に「猿の皮の足袋はきなして」とあることから、11世紀には「足袋」の字が使われていたことがわかります。

むかしの足袋は、足を袋状につつんで、くるぶしのところをひもで結ぶ紐足袋でした。材料は革でつくられていましたが、江戸時代、明暦の大火(1657)のあと、革の値段が高騰すると、廉価な木綿がつかわれるようになり、木綿足袋にかわりました。

またコハゼは江戸の後半にはありましたが、明治になってからコハゼがけの足袋が主流になったといわれています。

 

足袋のつくりかた 

足袋づくり

足袋のつくりかたは13工程にわかれています。

  1. ひきのし布を裁断するために、10枚かさねてととのえます。
  2. 通し足袋の型をあてて、布を裁断します。
  3. かけとおしコハゼをかける糸をとおします。
  4. 押さえとおした糸が動かないようにとめます。
  5. ハギマチコハゼをつけるところの裏に、布をぬいつけます。
  6. コハゼつけコハゼをぬいつけます。
  7. 羽ぬい表地と裏地をぬいあわせます。
  8. 甲ぬい足袋の甲の部分をぬいあわせます。
  9. 尻どめかかとのところを丸くぬいます。
  10. つまぬい爪先のところをぬいます。これがむずかしいといわれています。
  11. まわし爪先以外のところをぬいます。
  12. 千鳥まわしぬいしたところをギャザーにからみぬいします。
  13. 仕上げ形をととのえて完成です。

なぜ「タビ」というのか? 

足袋

「あしぶくろ」と書いて「タビ」と読ませていますが、どうして「タビ」というのかについては、いろいろな説があります。

  • 形から・・・足袋の形をよこからみると、鼻に似ていることから、「多鼻」からタビになったという説
  • 用途から・・・旅行のときに足袋をはいたことから、旅沓(タビグツ)がタビになったという説
  • 文字から・・・むかしの足袋は革でできており、底が単皮であったので、タンビからタビになったという説

あなたはどの説が正しいと思いますか?

 

行田足袋の歴史の見学

足袋とくらしの博物館

行田市行田1-2土曜日・日曜日・祝日のみ開館

電話090-8726-4962

お問い合わせ

生涯学習部郷土博物館学芸担当

電話番号:048-554-5911

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