石田堤

更新日:2022年02月10日

道沿いの土手に木が植えられた並木道の写真

文化財の概要

  • 読み いしだづつみ
  • 区分 県指定記念物
  • 種別 史跡
  • 所在地 行田市堤根1262地先
  • 時代 戦国
  • 形状 現存長約282メートル
  • 公開/非公開 公開
  • 指定年月日 昭和34年3月20日

文化財の説明

この堤は、天正18年(1590年)6月、忍城水攻めの際に石田三成によって築かれたことから、石田堤と呼ばれています。

天正18年3月に始まる豊臣秀吉の関東平定に伴い、北条氏に味方する成田氏の居城である忍城は、同年6月、石田三成、大谷吉隆、長束正家らによって包囲されてしまいます。

石田三成らは、地形を見て忍城を水攻めすることにし、全長28キロメートルに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと言われています。実際には自然堤防や微高地を巧みにつなぎ合わせたものと思われ、現在残っているこの堤も、自然堤防上に1~2メートル程盛土をしたものです。

こうして堤が完成し、利根川や荒川の水を引き入れましたが、地形的に忍城や城下町よりも現在の下忍や堤根方面に水が溜まってしまい、遂には堤が決壊し、水攻めは失敗に終わります。しかし、北条氏の降伏により、忍城は開城することになりました。 

現在は市内堤根に約282メートルの堤を残すのみですが、江戸時代は堤に沿って日光裏街道が通じており、堤に植えられた松並木に往時を偲ぶことができます。

なお、行田市堤根の堤に隣接する形で鴻巣市袋地内にも堤が残っており、鴻巣市(旧吹上町)によって史跡公園として整備されています。

石田堤歴史の広場

3本の満開の桜の木と柵で仕切られた砂利の駐車場の写真

駐車場

広場の端に側面が傾斜になるように溝を掘って作った堤の写真

広場の様子

当時の石田堤の深さまで掘り下げて再現しています。

所在地

行田市堤根1251-1、1251-2、1251-3、1251-8、1251-9、1252

公開

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