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更新日:2011年6月23日

行田市の名誉市民の方々

行田市の名誉市民の方々を紹介します。

林 頼三郎(はやし らいざぶろう)氏 1878~1958 

林頼三郎氏写真

昭和33年5月3日推挙。 

旧忍藩士三輪礼三氏の四男として、現在の行田市に生まれる。郡役所の給仕を務め、北埼玉郡長であった林家の養子となり上京。弁護士の書生として苦学し、東京法学院(現在の中央大学)を卒業する。1897年、19歳で司法官(現在の判事)試験及び弁護士試験に合格。その後、検事総長、大審院長、貴族院議員、司法大臣、中央大学総長等を歴任した。

大澤 龍次郎(おおさわ りゅうじろう)氏 1887~1974

大澤龍次郎氏写真

昭和33年5月3日推挙。

呉服商の番頭大澤新兵衛氏の長男として、現在の行田市に生まれる。小学校卒業後、綿布商に入り、その後証券界へと転進する。1917年、公債株式現物問屋大澤商会の設立を初めとして、大澤龍次郎商店、大澤証券株式会社(現株式会社SBI証券)を設立し、社長として活躍。福祉、消防、教育関係に浄財を寄付した。

村上 義之助(むらかみ よしのすけ)氏 1888~1980 

村上義之助氏写真

昭和33年5月3日推挙。

初代忍町長村上多熊氏の長男として、現在の行田市に生まれる。旧熊谷中学校(現熊谷高校)を卒業後、小学校教師になるも退職。1918年、忍町北谷信用組合を設立し、組合長に就任。埼玉縣信用金庫に改組後、理事長、会長、名誉会長を歴任し、全国信用金庫連合会(現信金中央金庫)会長も務める。青少年教育にも尽力し、教育関係に浄財を寄付した。

松平 忠寿(まつだいら ただひさ)氏 1882~1982 

松平忠寿氏写真

昭和41年5月3日推挙。

忍藩最後の藩主松平忠敬氏の長男として、東京に生まれる。海軍兵学校卒業後、日露戦争に従軍。乗船の戦艦が沈没するも生還し、海軍大学校に学ぶ。軍令部副官、横須賀軍需部課長などを歴任し、大佐にて退官。1932年、貴族院議員となり内閣行政委員などを務める。戦後は、(財)忍郷友会長として、本市の産業・文化の発展に尽力した。

永沼 倉次郎(ながぬま くらじろう)氏 1895~1988 

永沼倉次郎氏写真

昭和41年5月3日推挙。

現在の行田市に生まれる。小学校を卒業後、家業の肥料米穀商に携わった後、軍隊に入隊。除隊後、永沼弁柄工業所を設立し、弁柄製造を始める。1946年、利根産業株式会社に改組、弁柄製造の機械化、近代化に成功する。また、老人福祉センター大堰永寿荘を始め、福祉、教育、消防、土木関係に浄財を寄付した。

永沼 運造(ながぬま うんぞう)氏 1921~1981 

永沼運造氏写真

昭和56年12月10日推挙。

名誉市民永沼倉次郎氏の長男として、現在の行田市に生まれる。旧熊谷商業学校(現熊谷商業高校)を卒業後、家業の永沼弁柄工業所に従事。1946年に利根産業株式会社、1961年に利根建材株式会社の社長に就任。旧須加村、行田市の議会議員として地方自治に尽力し、行田商工会議所会頭などを歴任。教育、土木、消防、福祉関係に浄財を寄付した。

奥貫 賢一(おくぬき けんいち)氏 1906~2002 

奥貫賢一氏写真

平成元年10月1日推挙。

東京帝国大学法学部卒業後、大東亜省調査官、ハノイ総領事などを歴任。1947年、旧忍町長に当選し、県下6番目の市制施行を実現。上下水道等の都市基盤整備、周辺町村との合併、地場産業の振興等を進め、行田市の礎を築く。行田商工会議所会頭、埼玉県公安委員会委員などを歴任する一方、私塾「奥貫教室」を開講し、青年に政治、経済を論じた。

中川 直木(なかがわ なおき)氏 1913~2000 

中川直木氏写真

平成3年7月1日推挙。

現在の行田市に生まれる。旧熊谷中学校(現熊谷高校)を卒業後、旧忍町役場に奉職し、行田市助役などを歴任。1959年、45歳で市長に当選。以降8期32年間、行田市長を務める。繊維のまち行田を北埼玉の中核を担う産業文化都市へと再構築し、1977年には優良自治体として自治大臣表彰を受け、埼玉県市長会長、全国市長会副会長などを歴任した。

 

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