県名発祥の由来
< さきたま古墳公園内 >
およそ1200年前の奈良時代にできた『万葉集』の中に「前玉(さきたま)の小埼の沼(おさきのぬま)」や「佐吉多万(さきたま)の津」の歌があります。この「さきたま」は、現在の行田市埼玉周辺をさす地名であり、今も神社や字名は「さきたま」と読みます。
また、1100年前の平安時代にできた『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』 には、より広い郡名として「埼玉・佐伊太末」とあり、埼玉県の東部地域を「さいたま」郡と呼んでいたことがわかります。このように、小さな地名、「さきたま」が変化して、より広い郡名「さいたま」として用いられるようになっていったのです。そして、長い歴史を経て、明治4年(1871)11月14日、現在の北埼玉郡、南埼玉郡と葛飾郡の一部がまとめられて「県」となり、そのときの管区内のもっとも広い郡名が採用され、「埼玉県」が誕生しました。その後も県域はいろいろと変わり、明治9年(1876)に現在の埼玉県域が確定しました。
埼玉県名発祥の地といわれる行田市埼玉には、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳をはじめ、9基の大型前方後円墳からなる「埼玉(さきたま)古墳群」があることからも伺えるように、古代文化の花開いた地の歴史ある名前、それが「埼玉」なのです。