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公開日:2011年12月9日
行田市には、埼玉(さきたま)古墳群をはじめとする10もの古墳群があり、150基以上の古墳が確認されています。古墳は古代の権力者のお墓で、その大きさが築いた者の力を表わしていると考えられています。
行田市内では、今から約1,500年前の5世紀末頃に稲荷山(いなりやま)古墳を皮切りに埼玉古墳群が築かれ始めると、各地で中小の古墳が築かれ始めます。大日塚(だいにちづか)古墳はその頃の小円墳で、埼玉古墳群を築いた強大な権力者に従う小地域の権力者のお墓と考えられています。
ところが、6世紀後半になると真名板高山古墳、小見真観寺古墳など100m級の大型前方後円墳が周辺地域でも築かれるようになり、埼玉古墳群の古墳は大きさがやや小さくなって行きます。7世紀に入ると埼玉古墳群では浅間塚(せんげんづか)古墳、白山(はくさん)古墳、戸場口山(とばくちやま)古墳など円墳、方墳が築かれますが、若小玉古墳群ではより大型の八幡山古墳が築かれており、力関係が逆転したことがうかがえます。その後、埼玉古墳群は途絶えてしまい、若小玉古墳群では7世紀後半の地蔵塚古墳まで、古墳が築かれ続けました。
どうして埼玉古墳群は、衰えてしまったのでしょうか?それに代わってどのような権力者が現れたのでしょうか?古墳をめぐりながら、皆さんも考えて見てください。
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