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公開日:2012年1月13日
桑名藩主であった松平忠堯(ただたか)は、文政6年(1823)3月の三方領地替えによって忍藩主として桑名から移封となり、天保7年(1836)に桑名の藩校であった進脩館を忍で再興し、藩士の子弟を学徒として教育にあたらせました。その流れは、維新後も高等小学校として長く存在しました。
館名「進脩」の由来は、桑名藩に仕えた儒学者の平井澹所(ひらいたんしょ)が『易経』の「君子ハ徳ニ進ミ業ヲ修メ時ニ及バント欲スル也」を出典として選定したものです。これを大学頭林述斉(はやしじゅっさい)の子、林檉宇(ていう)に請い揮毫させて扁額としたものです。額には「文化十年歳在癸酉、南至前三日、林皝書」とあり、文化10年(1813)の冬至三日前に書したものであることがわかります。

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