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公開日:2011年10月31日
天平勝宝7年(755)に防人(さきもり)を派遣する際、諸国より選ばれた壮丁(そうてい:成年男子)が父母妻子と惜別の情を歌った短歌90余詩が「万葉集第20巻」に載せられています。市内若小玉地区にある春日神社、大御田等の地名等から、この地を藤原部等母麿の遺跡と考察し、昭和36年5月1日に八幡山古墳に隣接して歌碑が建てられました。碑表には「藤原部等母麿」とその妻である「物部刀自売」の2首の歌が刻まれています。
「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」
(あしがらの みさかにたして そでふらば いはなるいもは さやにみもかも)
埼玉郡上丁藤原部等母麿(さいたまぐんかみつよぼろふじわらべのともまろ)
「色深く せなが衣は 染めましを 御坂たばらば まさやかに見む」
(いろふかく せながころもは そめましを みさかたばらば まさやかにみむ)
妻・物部刀自売(め・もののべのとじめ)
歌の大意は、「夫の等母麿が防人として西国に行く途中、足柄峠で袖を振ったならば、家に残った妹(妻の意味)にも、はっきり見えるであろうか。」妻からは、「もっと色を濃く背(夫)の衣を染めればよかった。それなら、足柄のみ坂を通ったら、はっきり見えるであろうに。」と唱和したものです。地理的には行田から足柄峠は見えるわけがなく、出発前に衣の色にことよせて、別れの悲しみを夫婦間で取り交わした歌です。

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