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公開日:2012年1月13日
如来堂の阿弥陀如来三尊は、信濃善光寺の三尊と同体といわれ、多くの人々の信仰を集めましたが、将軍綱吉の老中であった忍城主阿部正武(あべまさたけ)がこれを禁止し、上野の寛永寺の宿坊(しゅくぼう)に預けました。のちに綱吉の母桂昌院(けいしょういん)の信仰を得ましたが、元の場所に戻りたいとのお告げにより、須加に堂が建てられたといわれています。
この扁額は、忍城主阿部正識(まさつね)の書になるもので、かつて広い信仰圏を獲得し、隆盛を誇った如来堂を記録する資料として貴重であるとともに、正識の数少ない作品としても貴重です。

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