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公開日:2010年12月24日
この鐘楼は長久寺の境内南側、山門の北西に位置し、方一間(ほういっけん)、桟瓦葺(さんがわらぶき)、切妻造りで、建立年代を記す棟などは発見されていませんが、「長久寺由緒明細書」に寛永10年(1633)忍城主松平信綱が洪鐘を寄附した記述があり、この時期に建造されたものと考えられます。
元々は現在の本堂南面にある手水舎(てみずや)の位置に存在しましたが、昭和20年代に実施した境内整備の一環で現在の位置に移築され、平成4年(1992)には屋根が葺き替えられています。しかし、腰貫(こしぬき)や飛貫(ひぬき)などは当初材がそのまま残され、その表面が焼け焦げている様相から、延享元年(1744)か天保11年(1840)の火災による延焼の痕跡と考えられ、大火を免れた状況をうかがい知ることが出来ます。
天正18年(1590)石田三成の忍城水攻めの際に兵火を受け、その復興事業の中で再建された鐘楼は、北関東における寺院建築を知るうえで貴重な建造物です。


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