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公開日:2011年5月11日
足袋のはじまりについては、いろいろな説があります。
奈良時代の貴族は、布でできた指のまたわれのない「しとうず」というものを沓の下にはきました。これがのちに指のまたわれができて、足袋になったという説。
また、革の「しとうず」をはいていた武士が、指のまたをわり、これが足袋になったという説等、さまざまな説があります。
むかしの足袋は、足を袋状につつんで、くるぶしのところをひもで結ぶ紐足袋でした。材料は革でつくられていましたが、江戸時代、明暦の大火(1657)のあと、革の値段が高騰すると、廉価な木綿がつかわれるようになり、木綿足袋にかわりました。
またコハゼは江戸の後半にはありましたが、明治になってからコハゼがけの足袋が主流になったといわれています。
また「たび」という名前については諸説があり、足袋の形が鼻に似ているので「多鼻」から、という説や、旅に使うので「旅靴」がタビになったという説、昔の足袋底が1枚革の単皮だった為、「タンビ」が「タビ」に変わったという説などがあります。
行田の足袋は、主に旅行用や作業用の足袋が作られていました。
行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられています。
明治時代になるとミシンが使われるようになり、足袋の生産量は増大しました。また忍商業銀行や行田電燈株式会社が設立され、資金も安定し、ミシンの動力化も進んで、名実ともに行田の足袋は日本一となりました。
昭和13年(1938)の足袋生産量は8,400万足で、これは全国生産のおよそ8割を占めていました。
行田市本丸17-23 電話048-554-5911
行田市行田1-2(土曜日・日曜日のみ開館) 電話048-552-1010
足袋足袋のつくりかたは13工程に分かれています。
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