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公開日:2011年5月11日
万葉集には仁徳天皇から天平宝字3年(759年)までの長歌・短歌・施頭歌など4500首あまりの歌が収められています。
行田市に関係する歌はそのうちの次の4首で、市内3カ所に歌碑があります。
所在地:行田市埼玉5450(前玉神社内)
浅間塚の上に鎮座している、前玉神社の社殿に参拝するには、急な石段を登る。その石段の上り口に、高さ約2メートルの一対の石燈篭があり、竿の部分に2首の万葉歌が刻まれています。
この石塔籠は今から300年程前の、江戸時代の元禄10年(1697年)10月15日に地元埼玉村(現在の行田市埼玉)の氏子たちが奉納したもので、万葉集に掲載された歌の歌碑としては、全国的にみても古いものの一つです。
社殿に向かって左側の石塔籠
『埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾にふりおける霜を掃ふとにあらし』
巻 9 1744 奈良時代の歌人 常陸国 下級役人 高橋虫麻呂
歌の意味
ビューンと冷たく張りつめた早朝の小埼沼は、見渡す限り白い霜の世界に包まれていた。その中でかすかに羽を動かす鴨は、まるで自分の羽に降り積もった霜を払うような仕草に見える。
社殿に向かって右側の石塔籠
『埼玉の津に居る船の風をいたみ 綱は絶ゆとも言な絶えそね』
巻 14 3380
歌の意味
埼玉の津に帆を降ろしている船が、風をいたみ、つまり激しい風のために綱が切れても、大切なあの人からの頼りが絶えないように。
所在地 行田市埼玉 (小埼沼)
宝暦3年(1753年)、忍城主の阿部正因が国文学者の平沼知雄に命じて建立した万葉歌碑です。
前述の前玉神社の石塔籠より56年後のもので、前玉神社の石塔籠のものと同一の歌が石塔の裏面に書かれています。
所在地:行田市藤原町1-27-1(八幡山公園内)
『足柄の み坂に立して 袖ふれば 家なる妹は さやに見もかも』
巻 20 4423 藤原部等母磨
『色深く 背なが衣は 染めましを み坂たばらば まさやかに見む』
巻 20 4424 物部刀自売
この歌は天平勝宝7年(755年)2月に、武蔵防人部領使、安曇宿裲三国が推薦した20首の中で採用された12首の一つです。
歌の意味
夫の等母磨が防人として西国に行く途中、足柄峠で袖を振ったならば、家に残った妻にもはっきりと見えるであろうか、妻からはもっと色を濃く夫の衣を染めればよかった、それなら、足柄のみ坂を通ったら、はっきり見えるであろうにと詠んだものです。
行田市に7つの句碑が存在しています。
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